ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)
池田 信夫
PHP研究所
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『世界は不平等と不正と混沌に満ちているが、「賢明な政府」が指導すれば、世界は今よりもよくなるのだろうか?
ハイエクが半世紀以上前に論破していた。「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」のである。』

マル経世代の人が多かれ少なかれその呪縛から逃れられぬように、少なくとも、経済学ないし経営学部出身の近経を専攻した人は、マーケットメカニズム信奉というか、アダムスミスの影響下にあるはず。自己の信条をあえていうなら、池田さんが紹介されてる「ハイエク」の世界、という事になろうと思います・・・あるいは、リバタリアンっていってもいい。政府の規制は最小限でいい。参入退出の自由は常にあたえられてる機会均等、だけど、すべて自己責任の世界観。たとえば、エアーズロックなんかいっても、日本の観光地の感覚だと観光庁の安全管理責任が問われそうだが、別段登山制限はしません、登りたい人はいつでもどうぞ・・・そのかわり、落ちて死んでも自己責任ってことで・・・ってのが、オーストラリアの感覚です(実際、年間何人か死ぬ)。だけど、誰にも、登るチャンスはフェアに与えられている。その自由を守る事自体が大切なんだというのがハイエク的発想になります。

学生時代ふりかえっても、経済学の先生っていうのは、徹頭徹尾合理主義なとこあって、あえて暴言だが、法学が単なる「足して二で割るための屁理屈」なのに対し、経済学は記述論の世界。どうあるべきかなんて、実はあまり興味がない。というより、内心胡散くさく思ってたり、多かれ少なかれ経済学学んだ人はその根底に持ってる事と思います・・・要は、「希少な資源Vs.無限大の欲望の二律背反性」を、経済学がどう合理的に資源配分(allocation)するかという「科学」なのに対して、法学は生産物の分配(distribution)をめぐっての単なる紛争解決手段にすぎないのだと。経済学の目線からいうと、これは、所詮事後処理の問題で、仕事でもなんでもほんとに大事なのは、いかに実際トラブルが生じないか、合理的な手を事前に打てるか・・・常にそっちのほうに問題意識があったりする訳です。実際、二流三流の会社程、とらぶって、皆で解決して、仕事やった気分の自己満足だったりします・・・もっとも、この無駄なマッチポンプが、「組織の心をひとつにするための祭事・ご神事」であるなら、それなりの合理性もあって話は別ですが。

その他、もっと大きい社会問題でも、たとえば環境問題を解決するために、経済学の方法論では、排出権取引みたいに市場の外部性問題としてとらえ、「コースの定理(結構、昔はじめてならったとき、それなりに感動した記憶がある・・・律法学者のかたい頭を軽々と経済学が飛び越してしまう爽快感?!)」で解決する。所詮、皆で地球環境を守ろう!なんて大声あげても実はあまり実効性ないから、人や組織が本然的に持ってるエゴイズム自体をくすぐってしまうおう・・・っていう徹頭徹尾合理主義の発想で、こういうの、結構すき。あつっくるしくなく、俄然夏向きです。

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